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ビハーラ活動と北潟病院

北潟病院院長 北尾 武

花祭り
 
  毎年4月の初めに、ビハーラ福井の会員の方々が当院に来られ、デイケア棟で「花祭り」をしていただきます。これは、当院の年度替わりの最初のイベントであり、患者さんのみならず、新しく北潟病院へ就職、転勤してきた職員にとって楽しく、また印象に残る行事です。お釈迦様の像にお茶をかけることは、患者さんにとって貴重な経験となります。重症心身障害児や高齢の患者さんは、ビハーラ会員の方々と一緒にお話をしたり、看護士さんのフルートに合わせての合唱などで、楽しい時間をすごします。職員も家から花を持って飾り、あまり変化のない患者さんの、入院生活への彩りをそえています。
 
静かに生きる
 
  北潟病院に入院している患者さんは、重症心身障害児や神経難病、呼吸器疾患といった長期に入院している患者さんばかりです。大部分の患者さんは、疾患と闘うというよりも、静かに受け入れて生きていると言った方が良いでしょう。人工呼吸器を付けたまま、何年間も入院されている患者さんも多くいます。私は、この病院に来て、はや15年がたってしまいました。病院の廊下の窓からは、天気の良い日は白山が見えます。この山は、周囲の山々の雪が解けても、いつまでも山頂には雪が残り、白い山の意味が良くわかります。病院の前には、北潟湖という小さいが穏やかな湖があり、その名を取って北潟病院と言うことになりました。
 
医の倫理
 
  いま、医療に対する批判が、新聞やテレビで行われていますが、それはそれで当たっている事が多いと思います。しかし、あまりに医療に期待を持ち過ぎるのではないかという気もします。人生の終わりにガンで死のうが、アルツハイマー病で痴呆になろうが、それはそれで受け入れていくより仕方がないでしょう。医療が提供できるのは、場所や快適性、リハビリ設備であって、精神性は個々の患者さんが受け持つことになると思います。自分の死に際して、どれだけ精神的なメッセージを残しえるかは、個人の領域でしょう。最近『高瀬舟』『山椒太夫』等を読み返してみてそんなことを考えています。
 
「癒し」はあるか
 
  この言葉にうさん臭さも感じますが、30年前に医学部を卒業し、血液学専門の教授の教室に入りました。H教授は、長崎の原爆投下後の最初の白血病患者さんを診察された先生で、今でも先生の前に立つと、体が堅くなってしまいます。当時は、白血病の患者さんが入院されると、主治医は最初から最後まで付き合う事になっていました。平均すると約2年でしょうか。医師と血液疾患の患者さんとの関係は、親子、兄弟、夫婦などとは少し違いますが、濃厚な人間関係です。朝、患者さんの血液を顕微鏡でみて、治療がうまくいって改善していると主治医である自分自身も何かしら気持ちが高揚してくるのがわかります。それは、いま思うと医師自身の「癒し」だったのでしょうか。患者さんが亡くなられて解剖させていただき、御遺体を見送った後、夜の街で友人たちと飲みながら医師として患者さんの死を受け入れる数年が続きました。
 
医は仁か
 
  仁とは二人と書き、医師と患者さんとの孤独な実存的対話なのだと、学生時代に読んだ哲学者の言葉が印象に残り、後輩の医師の結婚式のスピーチのネタにしていますが、最初のころは受けましたが、最近は受けずやめています。考えてみれば、医療ばかりでなく、すべての対話が成立しない世の中ではどうしようもありません。他者や状況に直面することがなくなった時代では難しいのでしょうか。
 
北潟病院を訪問してください
 
  ビハーラの研究会で私の話を聞かれた方が年に2、3人私どもの病院を訪問してくださいます。近くには蓮如上人で有名な吉崎御坊があり、その帰り道に当院に寄り道していただければ院内をご案内いたします。どうぞよろしく。

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