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第六回ビハーラ活動全国集会 in妙高高原を終えて

第六回ビハーラ活動全国集会 in妙高高原開催実行委員長 上越ビハーラの会代表 間山英雄

 長野教区のビハーラ長野と国府教区の上越ビハーラの会が、第六回ビハーラ活動全国集会を共同で主管しようと考え始めてから十五カ月後の七月、「in妙高高原」の名称で総勢六百人近い人が集まって全国集会が開催されました。

 開催地に選ばれたのは長野教区(長野県)と国府教区(新潟県)の境にある標高二,四五四メートルの妙高山の麓、池の平という大手企業の保養施設や大学のセミナーハウスが並ぶ、海抜八五〇メートルの緑の樹林に覆われた高原でした。この池の平はスキー場としてスキーヤーには知られていますが、国立公園ということもあり営業用のホテルやペンションはそう沢山ある訳ではありません。そのような高原に、総勢五百八十五名の参加者が集まりました。

 ある日、お願い事があってビハーラ兵庫のMさんと電話で話したとき、「どうしてこんな山の中の集会に、こんなに沢山の方が参加してくださるのだろうか」との問いに、Mさんは、「キャッチフレーズがいいですね。″ときには私自身にビハーラを″″自然のいのちの鼓動の中で″みんな一生懸命やってきた人たちは正直なところ『私自身にビハーラを!!』と叫びたい時期にあるのでしょう。その人たちにとって大自然の中での開催は心安らぐものがあるのですよ。それと地方色豊かな十三もある分科会、これは国府と長野の情熱ですよ」そう言って下さいました。
  心配していたことが少しずつ消えていくうれしい言葉でした。

 二十一世紀にむけて意図した四つのことがら
  第六回全国集会のプランニングの中で、大きく分けて四つの意図するものがありました。

 その一つは、みんなが少々疲れているのではないか。ストレスが溜まっているのではないかということでした。それぞれの教区で組織を結成してから、行き詰まりも、肩の荷の重さにくじけそうになることも、はけ口のない想いに悩むことも多々あったであろうと考えました。そんな時、あの″ときには私自身にビハーラを″のキャッチフレーズを考えてくれたスタッフがいました。

 二つ目は、全国集会とは何なのか、参加者の中から探ってみたいと思いました。いまだ宗門としてのビハーラ活動の本来像が見えてきません。始まって十年と少しですから無理からぬことのようにも思いますが、そのような中間的な時期だけに全国集会のもつ意味が大事に考えられました。ビハーラ活動に携わるすべての人にとって、今日的に全国集会というのは、唯一全国サイドで仲間意識を培い、心のフレンドをつくっていける集会です。この集会が悩める会員たちの活動を精神的にもサポートし、継続のエネルギーを吹き込んでくれるものであればという願いもありました。

 三つ目は、分科会の中に二十一世紀に今よりもっと大きな問題となっていくであろうと思われるテーマ「社会変革とも見える医療や福祉の制度の問題」「先端医療の中で起こる生命倫理の問題」「個優先の時代の中で生き方も死に方も自らの選択で決めねばならなくなった問題」などを加えました。また、分科会の発題はほとんど地元の第一線に立つ先生方にお願いすることといたしました。ビハーラ活動はその地域の多様な人々との調和の中でこそすすめられるもの、地域の連携なくしては成り立ちません。ビハーラにはこのような自由さが不可欠なことも確かです。

 うれしかったことは、そのような集会に宗門のビハーラ活動関係講師に名を連ねる何人もの先生方が、一般参加者と同じく会費を払って分科会を選択して参加してくださったことです。

 全国集会が終わって、滋賀から参加された方より、お手紙をいただきました。「分科会では先生方、僧侶の方、坊守様、そして門徒の私たちが皆平座でお話しをさせていただき、まさに御同朋御同行の集いで素晴らしいビハーラの大会でした・・・・・・」

 四つ目は、地元(主管)教区への啓発と人材発掘です。ビハーラ長野も上越ビハーラの会も、教区、組、教化団体の全面的な協力を得て、参加者は各々百名を超えました。参加者名簿を見ますと若い方の参加も予想以上でした。早速、若い方にスタッフとしての協力をお願いしました。「会費を払って分科会にも出られず、講演もまともに聞けない。泊まりはスタッフ用ペンション、なんだか割にあわないなあ」と言いながらも全国集会のスタッフとなって汗を流してくれました。この若者たちが二十一世紀においてビハーラ活動を率先する活動者になると確信しています。

 かかわったスタッフ七十五人

 
  今回の全国集会の施設は七~八百メートルのエリアにメイン会場となる一つのホテルと、レセプション会場となる地ビール工場レストラン、分科会場を兼ねる十一のペンション、それに来賓、発題者用、スタッフ用、現地本部用の三つのペンションと合計十六施設が散在することになりました。この中を誘導係の移動用マイクロバスや徒歩で五百八十五人が動きます。それも高原の坂道です。当然のことながら参加者をお世話するスタッフの数も多くなりました。十三の分科会に参加された五百十一五人、そのお世話をするために一緒に泊まり込んだスタッフ三十二人、現地本部、全体行事、誘導などを担当したスタッフ四十三人となりました。私たちはこのように沢山の方がスタッフとして、この集会にかかわりあいをもって下さったことに大きな意味を感じています。

 ビハーラ十年の積み上げの中で、溜まりにたまったもろもろの想いをこの池の平で、仲間たちに思い切り吐露していってほしいと分科会の時間も三時間と設定いたしましたが、その想いと裏腹に三時間の進行ができるかという心配もありました。しかし、その心配は一瞬にして吹き飛び、三時間でも足りなかったという分科会も多く出ました。

 レセプションの後、各ペンションの窓の灯りは深夜まで各々の想いを照らして煌々と輝いていました。

 二日目の記念講演は突如「告知」という朗読法話に変わりました。
  フジテレビの松倉悦郎アナの静かな語り口が高原の午前の時間にふるえるように流れていきました。五百人が入っている会場も音ひとつなく、静かに涙を流す九十分となり参加者の心をゆさぶりました。

 二日間の集会を終えて改めて全国ビハーラ会員のエネルギーの大きさに驚いています。

 ビハーラ活動十カ年総括書の中で「教区ビハーラが全国に組織された現在、実践者組織を本位とした方向に進むべきである。(中略)今後の宗教教団の組織は真宗ネットワークをベースとする考え方が望ましい・・・・・・」とありましたが、是非ともビハーラにふさわしい形で具体化していきたいものです。そのためには「教区ビハーラ代表者会」をしっかりとしたものにして、宗門のビハーラ活動の諸計画、決定に関しては不可欠な機関となっていくことが必要と考えます。

 最後に、第七回全国集会が、平成十二年に是非とも開催されますことを願って筆をおきます。

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