ビハーラ第十一期生の実習を受け入れて

医療法人麓会 麓病院総婦長 瀧澤良子

 五十四床ある療養型病棟からまた一人、末期の医療処置のために、一般病棟へ移ることとなりました。療養型の病棟に入院している五十四人は、四十人近くが八十歳以上で、五十人近くがオムツを使用し、二十人前後が寝た切りで、食事も経管栄養、車いす等で食堂に出かけて食事のできる人は十人前後、そんな患者さんたちです。ですから、いつ状況、状態が変わってもおかしくない環境にあります。

 今回、第十一期ビハーラ活動者養成研修会実習生の受入れの中心となった病棟は、このようなところでした。

 受入れに際し、参考にと養成研修会二年間のカリキュラムを見せてくださいました。正直なところ少々驚きました。本願寺が求めている実習の内容をお聞きしました時も、ここまでやるのかという感慨はありましたが、二年間のカリキュラムから私に見えてきたのは、一貫して自己研鑽と奉仕(援助)活動の精神に貫かれた姿でした。

 本願寺教団という巨大なお寺さんの集団が、このようなカリキュラムで人材の育成をはかり、伝道や布教を目的としない人材を社会の中に送り込んでいるということに、改めて宗教者やその教団の現代を生きる「生き様」を見たように思いました。

 私どもの麓病院がビハーラとのかかわりをもったのは、上越ビハーラの会の結成された平成七年で、地元の基幹となる実践と研修の施設として協力することになりました。
  麓病院でも平成八年四月より、国の施策の一つである高齢者向けの長期療養と在宅介護支援のための中間施設として、病棟並びに病床の一部を切り替える準備をすすめていた折でもあり、地域の個人病院として、地域住民との九十年にわたる歴史を持つ、麓の院長としての決断であったのだと思います。

実習生との二日間
  久しぶりに病棟の中に、はなやいだ空気が流れました。
  実習に参加された人は七人。実習生五人、本願寺社会部二人の計七人ですが、内四人が三十代前の若い男性でした。

 病院が提供した予防衣を着けた若い男性が、病棟の中を動き回るだけで病棟の空気が変わりました。

 実習のスケジュールは事前の打合せで病棟の看護、介護の時間割にあわせて組み替えられておりましたので、日常の流れの中で実習が始まりました。

 一日目の最初は、上越ビハーラの会の定例のお話会があり、実習生による法話やレクリエーションの体験。そのあと、総婦長の立場で私から「療養型施設の現状、問題」や入院患者の状態など六十分程お話しさせていただき、一日目最後の実習となる病床訪問への心の準備をしてもらいました。

 病床訪問では毎回訪問している患者さんのところには、上越ビハーラの会員が同道されましたが、難しい病床訪問の経験もと思い、私の方で何人かの末期にある患者さんを人選し、同道することとしました。

 しかし、当日になって問題が起こりました。九十一歳の老女は訪ねてくれる家族や友人もなく、彼女の日常から考えても若いお寺さんの訪問は、さぞ喜んでくれるものと思ったのですが見事に拒否されました。

 九十一歳の老女のプライドなのでしょうか。私たちへの抵抗なのでしょうか。

 また、一人の患者さんは、事前にお話をしておいたのですが、訪問時に意志の疎通も難しく、緊張の余り痙攣を起こすなど、予想しなかったことが起こりました。

 三十余年、看護婦として数々の患者さんとのかかわりをもってきても、人間の心のあり様は絶えず変化し、人それぞれに異なり、不可解なものとつくづく思いました。

 本当に高齢者の末期にある患者さんの変化は激しく、話だけでもしてあげたいと人選した一人の患者さんは様態が急変し、訪問を取りやめましたが、翌朝お亡くなりになられました。繰り事になりますが、臨終を目前にしたその患者さんこそ、あの若いお寺さん(実習生)達の訪問が必要だったのではないかと、心に残る事になってしまいました。

 わずか十数時間の中で様々なことが起こりました。これが高齢者の末期患者の現実であることも、貴重な体験の一つとしていただければと思っています。

 目には見えなくとも、日ごと、確実に変化しているのが老病者であることを心得ておきたいものです。

 翌二日目は、病院が提供しました予防衣を着けての実習となりました。

 八時三十分、夜勤者からの「申し送り」に立ち会うことから始まり、マスクを着けてのオムツ交換、移動介助、リハビリ実習、食事の介助(経管栄養は見学と説明)重患の入浴、脱着介助と午後三時まで続きましたが、一人ひとり個性豊かな実習ぶりを発揮されていました。

 そのような中で目に留まった二つのことを紹介します。
  介助のすべての動作が自然体で、どちらかと言えば目立たない接し方をする二十代の男性Tさん。介助動作も安心して見ていられるし、そのTさんに介助を受けている人の表情まで想像できる、そんな天性をもった介助の姿を見ることができました。

 そうかと思うと、真面目で、直情的で「そんなに頑張ると、息が切れてしまいますよ。この活動は長い長い根気のいる仕事ですからね」と声をかけたくなるKさん。

 すべての方が、それぞれに良い経験を積まれたように思いました。

 それでも私の欲なのでしょうか。一人ひとりにこんな念を押したくなりました。

「オムツ交換の時、ウンチの臭いの中で看護婦がつける観察記録までみられましたか」

「これから始まる介護保険導入の一番の目的である、要介護者の日常生活の三大援助『食事』『排泄』『入浴』をきっちりみましたか。実践しましたか。そして考えましたか」と。

ビハーラ活動に思うこと
  ビハーラ活動の根源にある力は何なのでしょうか。今回の実習で私どもの病院を訪ねてくださった七人の方々を見ても、実習とはいえあの若さで老病者の介助をあれだけ真剣に取り組めることに驚きました。一般社会の三十代前の若者たちも、無償の行為としてこんな取り組みをしてくれるのでしょうか。

 それとも、そこには僧籍をもち、やがて一寺の住職になるという、宗教者の力が働いているのでしょうか。同じようなことが、蓮如上人五百回遠忌法要と併せて開催された、第五回ビハーラ活動全国集会で感じたことでありました。

 あの集会に集まる会員の方々のパワーは、凄いものだと思いました。反面、「私たちは仏教者」「あなた方は!」という部外者をはじき飛ばすような声も聞こえてきそうな雰囲気が少しありました。否、それは私の思い過ごしであったのかも知れません。

 話は少し飛躍しますが、ビハーラ活動等を支える「根源にある力」ということを考えてみますと、お医者さんとお寺さんはよく似ているように思います。共に、自分の仕事を生涯のものとして、意識しているところに力の根源が潜んでいるのかも知れません。会社員なら定年で会社を辞めてしまえば、そこで一つの終わりがきます。

 しかし、お医者さんは死ぬまで医者ですし、お寺さんも死ぬまで僧侶です。それぞれ、いのちの最後まで医者として、僧侶として生き抜かねばならないという意識が「根源の力」になっているようにも思えます。私も医療に携わる一人として、私自身に投げかけられた大きな問いになりました。

 やがて私にも定年がまいります。それまでに、自分の生き方を考えておかねばと、ビハーラ実習生と過ごした二日間の中で考えさせられました。

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