新しいビハーラ活動の5つの方向性について

ビハーラ活動推進委員会委員 篁整形外科医院長  篁 俊男

1.はじめに

 このたび、ビハーラ活動10ヶ年総括書に基づき、ビハーラ活動が宗門の条例に設置されました。それに伴って「企画研究専門部会」において、ビハーラ活動の理念の整備と方向性の見直しを行うことになりました。平成11年10月から平成12年2月まで5回の部会を開催し、その作業に専念しました。理念については、1998年から1年間、カリフォルニア大学バークレイ校、総合宗教大学院に留学された鍋島直樹委員に原案をつくっていただくことになり、それを部会で審議し、平易な表現でしかも格調の高い理念案ができました。

 方向性については各委員からいろいろの提言をいただきましたが、平易な理念を受けてわかり易く、過去10年をふり返り、次の10年を見据えた内容にすることを基本として、何回も意見交換をくり返し、苦難の果てに最終的には鍋島委員と社会部で全委員の意見を全部網羅していただいて、広くて深さのある良き方向性の案が出来上がったと思っています。

 この両者(案)を、去る3月14日に開催された第3回ビハーラ活動推進委員会で最終審議し決定されました。ここでは、新しいビハーラ活動の5つの方向性について、当事者の一人として少し意見を述べたいと思います。

ビハーラ活動の5つの方向性
Ⅰ 広く社会の苦悩にかかわるビハーラ
Ⅱ 自発的にかかわるビハーラ
Ⅲ 相手の心に聴くビハーラ
Ⅳ 医療・福祉と共にあるビハーラ
Ⅴ 深くいのちを見つめるビハーラ

2.解説と感想

Ⅰ 広く社会の苦悩にかかわるビハーラ
(1)「ビハーラ活動は、宗派を超えて、広く人々の苦しみや悲しみにかかわっていく活動です。阿弥陀仏の本願は、苦悩を除く法としてすべてのものに等しくとどけられています。」と述べ、ビハーラ活動は相手の人格や信仰を尊重する普遍性をもった活動であることを宗門内外に向かって宣言しています。

(2)「ビハーラ活動は、ターミナルケアに限ることなく、支援を求めている人々に幅広くかかわる活動です」と述べ、その例として心身の障害・重い疾患・老年期痴呆・エイズなどをあげています。

(3)「ビハーラ活動は、突然の災害や事故によって心身に大きな傷を受け・・・・・・人々にもできるところからかかわっていきます」これら(2)、(3)はいずれもビハーラ活動10ヶ年総括書の中身であり、またホスピス活動と趣を異にしているところだと思います。5年前の阪神・淡路大震災や、昨年の台湾大地震へのかかわりは記憶に新しいところであります。

Ⅱ 自発的にかかわるビハーラ
従来の「いつでもだれにでも実践できるビハーラ」が「自発的にかかわる」に変更されました。これは本派ボランティア活動の基本理念「・・・・一人ひとりの人間の自発的な行為であり・・・・」と同じ視点をもったのです。

(1)「ビハーラ活動は特別の資格がなくても、創意と工夫によって、できる範囲内での・・・・・」と述べています。このことは、理念で引用されているご門主様の教書のお言葉「・・・・・人びとの苦しみに共感し、積極的に社会にかかわつてゆく態度も形成されてゆく・・・・・」に相通ずるものと思います。

(2)「人々のそばに寄りそい、そこにいることの意義を見いだしていきます。」とあります。これはターミナルケアの理念である「何かをすることではなく、そばにいてあげることである」という言葉に通じ、また『大無量寿経』には菩薩のすがたを説いて、「もろもろの庶類のために不請の友となり、群生を荷負して、これを重担とす」と述べられてある法語にも相通ずるものであります。私事になりますが、大学病院時代の恩師がターミナルステージの病床においでになった時、枕元へお見舞いに訪問し、帰り際に「何も言わなくてもよい、時々、短い時間でよいから顔を見せてくれ」と言われて思わず慟哭したことを思い出します。

(3)「ビハーラ活動は医療・保健・福祉・介護・仏教にわたる総合的なビハーラの研修や臨床での実習を受けることが望ましい」とあります。Ⅱ-1「特別の資格がなくても・・・」から入って、病院や施設などの信頼に応えるための学習や自己啓発を進めています。

Ⅲ 相手の心に聴くビハーラ
従来は、「相手の望みに応える」であったが「聴く」に変わりました。

(1)「ビハーラ活動は、相手の心に聴いて、出来る範囲内で相手の望みに応えていきます。そして活動にたずさわる私たち自身が、相手から生きる意味を学びます」とあります。相手の心を聴かせていただいても、時には相手の望みに答えることができないことがあります。「早く死なせてください」「あの世へ早く往きたい」「楽にさせてください」「もうこの世に未練はないのです」などの問いに、私たちはどう答えることができるでしょうか。ただ、黙して手を握り共に泣き、念仏を称えるしかないのではないかと思うことであります。

(2)相手との様々なコミュニケーション、相互の信頼関係、人間的交流、精神的援助が容易になればそれはよいのですが、但し、痴呆や器質的傷害でコミュニケーションができない場合でも、相手の心を聴かせてもらう態度は大切にしたいものと思います。

(3)「ビハーラ活動は、全人的ケアの一役を担う活動であること。身体的苦痛の緩和によって、それ以外の苦痛への対応がより深めることができる」と、述べています。

(4)「ビハーラ活動は、宗教的ニーズに応えていくことを大切にします」と当然のことを述べています。しかしここで、「信仰や布教を強要してはなりません。どこまでも患者の人格や、信仰を尊重し、その人らしい生き方ができるように援助します」と述べております。そして、この項目の最後には、「もっとも大切なことは、患者も家族も看取る人も同じ人間、御同朋であるという自覚です」と述べていることは注目に値します。たとえ信仰・宗教が違っていても共に如来様から願いをかけられている御同朋である、という自覚がビハーラ活動にとってなにより大切であると思います。

Ⅳ.医療・福祉と共にあるビハーラ
(1)病院や福祉施設において、医師・看護士・福祉施設職員などの専門家に導かれて、チーム医療の一員として、病院や福祉施設において開かれるケアカンファレンスに出席することの重要性を述べています。このような環境づくりをすることは、一朝一夕にはできませんが、Ⅳ-3で述べるようにチーム医療の一員として承認されるような環境づくりが是非必要であり、それは、後述するように、不可能ではないのです。

(2)「ビハーラ活動は、医療・福祉施設の現場で患者や家族たちが老・病・死という現場から目を背けずに苦難の現実を受け入れ、勇気と安らぎをもって生きていけるように援助する活動です」と述べられています。

(3)ビハーラ活動が病院でのターミナルケアに関わることができるための条件づくりについて、次の提言をしています。
○知人・友人・門信徒が病気になったというなるべく早い情報の収集と早期の見舞い。
○患者の主治医、担当看護士との面接、自己紹介、患者との関係などについて了解を得ること。
○その後の訪問、見舞いの際にも、常に②の手続きをとること。
○守秘義務の遵守。
○以上のことが医療関係者から日常的に承認を得られたら、チーム医療の一員として、加わることができる。
念のために、この条件づくりは、ビハーラ富山会長堀 恵雄氏のマニュアルを紹介させていただいたものです。

(4)ビハーラ活動が、在宅ケアに関わる意義とメリットについて述べました。また、寺院の一部を開放してのデイサービスの試みなど新しい支援の工夫に対する評価について述べました。

Ⅴ.深くいのちを見つめるビハーラ
Ⅰを横の広がりとすると、Ⅴは縦の深まりを強調したものです。
(1)「ビハーラ活動は、人間の究極的問題として、生・老・病・死を見つめ、いまここに生きている意味を深く問う活動である」と述べています。ここで思い起こされることは、親鸞聖人が『教行信証』の終わりに引用されている道綽禅師のお言葉に、「前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ」という感動的なみ教えであります。

(2)「ビハーラ活動は、生死に関わる深いいのちのうめきを受けとめ、宗教的ニーズにどう応えるかをより深くみつめる」とあります。キューブラ・ロス氏の「死にゆく人の心理過程(5段階死)において「死の受容」の段階の前に「抑うつ」の段階があり、死の受容のためにはこの「抑うつ」が必要である。介護者がこの「抑うつ」を全面的に受け入れ、いつもそばにいて、十分にケアされた患者が死の受容の段階にはやく移行でき、やがて受容と平安の内に「解脱」を経て、死を迎えることができる。と述べていることに注目したいと思います。

(3)「ビハーラ活動は死別後の深い悲しみについて取り組みます」と述べており、いわゆる「悲嘆の癒し(グリーフ・ワーク)」を大切にする活動です。葬儀や法事の意義を見直したり、悲しみを分かち合う会を設けることによって、悲しみの意味をともに見つめることができるでしょう。

(4)ここでは、なによりもビハーラ活動に携わる人自身が、自己の生と死について深く学ぶことを求めています。この私自身が、本気で念仏を称えさせていただき、浄土に往生することをより拠としているかを再確認していかなければならないほど厳しいお諭しです。

(5)「ビハーラ活動は「いのち」に関わる諸問題を積極的に見つめます。今日、遺伝操作・体外受精・脳死・臓器移植・クローンなど、生命操作の問題が山積しています」と述べ、今後の大きな課題として取り組んでゆくべきことを述べています。

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