いよいよこの1999年度から、新カリキュラムによる第11期生のビハーラ活動者養成研修会が再開されました。第10期生は1996年度、1997年度の2年間で研修を終了したのですが、蓮如上人500回遠忌法要を契機として1997年度と、1998年度の2年間は休止し、課題を明らかにする作業を進めてきました。
その結果、とにかく歩み出さなければ決して生まれなかったであろうような成果が、数々みえてまいりました。それと同時に、さまざまな次元や領域において、具体的解決を迫るような多様な課題が噴出し、山積みしている現状もかなり明らかになってきました。ビハーラ活動に心を寄せたり関わったりする人の立場、環境、職業、年齢、関心等の相違によって、意見や感想や提案や批判の声はまちまちです。しかし、そのほとんどは、ビハーラ活動の発展を願えばこその切実な声であり、現状改善のために示唆に富んだ声です。専門委員会ではそれをよく検討して、今後前向きに取り組んでいくべき課題を、領域別に次のようにまとめてみました。
1) ビハーラ研究期間の設置2) ビハーラ組織の改革
3) ビハーラ活動者養成の新カリキュラム採用
4) ビハーラコーディネーターの養成と情報蒐集
5) ビハーラ活動の啓発と情報蒐集
6) ビハーラ専門僧侶の認定・任命制度
これらの課題をそれぞれ短期、中期、長期計画のもとに整理し、課題解決のために最適の関係者や関係機関が協力し合い、衆知を集めていかなければなりません。
さて、ビハーラ活動者の養成に関わる諸問題について協議するビハーラ専門委員会におきましては、研修休止の2年間、カリキュラムの編成、ビハーラ記録作成、ビハーラ教育、総括点検の四つの重点にわけ検討してきました。
これらのうち、まず、ビハーラ活動者の実力養成に欠かせない、現場実習や臨床実践における記録作成の書き方については、具体的改善を実現しました。
これまでの研修生は、今まで踏み込んだことのない医療福祉施設現場で、なんらかの援助活動、もしくはケア臨床を体験する機会を得たことに喜びを感じる、というところでとどまりがちではなかったでしょうか。そういう体験は活動する者にとってきわめて貴重なのですが、総じて対人的援助活動は援助者の自己満足よりも、相手の被援助者のニーズ充実が中心でなければならないのです。
そういう視点から実践効果を評価し、援助の質的向上をはかるためには、的確で有効な活動記録、実践記録の書き方が要求されてきます。よい記録は、援助者、被援助者双方にとって個人的に有益であるばかりではなく、活動現場や臨床体験の生々しい実状と問題点を浮かび上がらせ、その活用方法さえ誤らなければ、研修用のケース研究素材として、また、広くビハーラを世に知らしめる情報資料として、絶大な効力を発揮することが期待できるでしょう。
つぎに、ごく限られた研修時間の中で、最大限のビハーラ活動実践能力を養成するために、「カウンセリング」と「介護」の実践理論学習と、実習・体験学習を効果的に関連づけたカリキュラムを工夫しました。どちらも日進月歩する理論や技法を積極的にとりいれたり、研修生の声を汲み上げたりしながら、実習・体験学習の方法を洗練させていきたいと考えています。
ビハーラとはいったい何か。ビハーラは布教・伝道活動か否か。ビハーラはターミナルケアかそれに限定されていないのか。ビハーラは独自の活動か、ボランティア活動か。活動者の間で、また宗門の内外で、こういったビハーラの本質を問う声や議論が絶えません。概念規定が曖昧では、活動の混乱を招くのではないかといった危惧もないではありませんが、私は活動現場からも学会からも、活発なビハーラ本質論争が行われ、目的や方向や実施方法をめぐる論議や提案が百出することを、むしろ歓迎したいと思っています。
少し話は違うかもしれませんが、「介護」が切実な社会問題になってくるにつれ、その財源問題をめぐって「税金」か「保険」かが長らく議論され、保険制度が採用されると、今度はその実施方法に関わる諸問題が続出してきています。しかし、そういうプロセスを通して日本の介護問題は急速に進展してきているのです。ビハーラについてもよく似たことがいえるのではないでしょうか。
基本学習会において、ビハーラ活動の基本理念となるべき真宗教義理解を深めると同時に、社会性をうちに含んだ法義の受けとめ方ができ、現実問題に一歩踏み出せるように、教科名や教科内容上の改正も試みました。
福祉や医療の施設における法話のあり方を探求していくとき、先にふれたビハーラ活動は布教・伝道か否かという問題とも関わって、寺院中心に考えられてきたこれまでの真宗布教・伝道の概念や方法の抜本的な見直しが迫られていることを痛感します。ビハーラ活動においては、マクロな視野からの社会的対応とともに、あるいはそれ以上に、ミクロな人格交流的、心理的、霊性的(鈴木大拙師の言葉)な細やかな配慮が欠かせないと思います。仏教精神、真宗念仏のこころにもとづくケアは、一方的コミュニケーションとしての説教・法話をすることに限りませんし、役割分担的に狭く限定された、いわゆる「心のケア」だけのものでないでしょうか。
私のひそかな思いにすぎないのかもしれませんが、浄土真宗の「法」を自覚的・体験的にふまえた対人援助法としての「真宗カウンセリング」「真宗法座」の開発、創造は、ビハーラ活動においても、核心的な重要性を持ってくるのではないでしょうか。
この問題につきましては、もし機会が与えられましたら、改めて所見を述べさせていただきたいと考えております。