わが宗門の「ビハーラ実践活動」は、生涯聞法体系を基盤として推進している基幹運動の重要な活動の一つとして、昭和60年代の初頭より開始された。開始を促した時代的背景を省みると、当時すでにわが国では、極度に進んだ先端医療技術による生命操作や、高度経済成長に伴う急速な高齢化等によって、人間の「いのち」のありようを根源的に問う社会的風潮が高まりつつあった。この事実は、現代という時代が、はからずも、仏教が伝統的に基本的課題としてきた「生老病死」の問題を、あらためて問いなおさざるをえない時代に入ったことを意味する。言葉を換えていえば、ながらく隠蔽されがちであった「死」の問題を、個人的にも社会的にも見据えざるをえない時代が到来したことを意味する。
「ビハーラ実践活動」は、いわば、わが宗門が以上の時代認識に基づき、現代社会の「いのち」の問題に教団として自覚的、積極的に取り組む具体的な試みの一つとしてはじめられたのである。
「生と死」「老病と死」「延命とQOL(生活の質)」「キュア(治療)とケア」等を問い直す先進的な動きが、全国各地に現れ始めた頃、正確には1986(昭和61)年、教学本部は「真宗と医療に関する専門委員会」を設置し、教団として「いのち」を根底から問いなおすような諸問題に積極的に接近しようと試みた。その成果の報告は、限られた時間内の審議という制約もあって、途中経過的、問題提起的な試論の域をでていないが、早速これを受けて、翌1987(昭和62)年から、教団(宗門)としての組織的な「ビハーラ実践活動」にふみきった。すなわち、「ビハーラ実践活動専門委員会」を結成し、ビハーラ実践活動基本構想を決定して、実践活動を担う人材、実践活動研究会員の養成を開始した。その根底には、1980(昭和55)年「教書」の意を体して「病床にある人々の老・病・死の苦悩の解決のために、また、生命の尊厳を正しく見つめることができるように」との願いがある。
「ビハーラ実践活動」の概念については、「入院・在宅を問わず、病床に伏す人々のもつ精神的な悩みに対し、それを和らげ、人間としての尊厳を保ちつつ生きられるよう、家族など多くの人々とともに、宗教者としての精神的介護(ケア)にあたる」とした。「ビハーラ」という用語については、以上のような教団(宗門)の自覚と自主的決断を実践化するに当たって、当時、仏教大学社会事業研究所研究員の田宮仁氏(現飯田女子短期大学看護学科教授)が「ホスピス」に替えて提唱しはじめた「ビハーラ」概念を尊重、依用することにしたのであった。しかしながら、その後のビハーラ実践活動推進の過程において、氏の抱く「ビハーラ」理念、志向、路線とわが宗門のそれとの間に、それぞれ特色ある、異なった色合いがあらわになりはじめた。「ビハーラ」概念をめぐる相違点や共通点の確認や理解の深化、及び高い次元への実践的、理論的統合という課題が、この10年の歩みの中で浮上してきている。
ただひそかな期待と自負ではあるが、老・病・死のケアをめぐる国内外の最近の政策的・国民意識的動向を見るとき、我々の活動は、これを着実に推進していけば、21世紀の我が国の「ビハーラ」発展に大きく寄与できる可能性、もしくは力量を徐々に蓄えてきたように思われる。
ところで、我々宗門におけるビハーラ実践活動のための人材養成計画の名称は、正確にいえば「ビハーラ実践活動研究会会員養成」という。その養成計画の概略を示せば以下の如くである。
毎年度、活動の趣旨に賛同して応募した本派僧侶、寺族、門徒の中から、一定数の会員を選び、2年間にわたって計画的に研修を行う。研修は基本学習と実践学習とからなる。基本学習は、2泊3日若しくは1泊2日、本山に合宿して、実践学習に必要な基礎科目を80時間学習する。実践学習は、この研修事業に賛同・協力してくれる病院や老人福祉施設の現場に入って、見学・実習して体験学習を深めるというものである。
以上の養成事業は1997(平成9)年度をもって10期を数え、規定の基本学習、実践学習を修了した研究会会員は合計649名に達している。そして彼らが中核となり、それぞれの地域で教区ビハーラを組織し、実際に病院や老人福祉施設等において、地域事情に応じた活動を活発に行っている。
教区ビハーラの結成は、1987(昭和62)年の「ビハーラ福井」「ビハーラ大阪」に始まり、1996(平成8)年の「ビハーラ福岡」「ビハーラ備後」をもって、全教区に教区ビハーラが結成された。教区ビハーラにおいては、研究会会員以外にも、ビハーラ活動に賛同した教区会員が約3000名にも上っている。
以上のような実践者養成事業を進めていくための専門委員会が、「ビハーラ実践活動研究会専門委員会」である。この委員会と並行して、宗門の重点施策であるビハーラ実践活動の推進にかかる諸問題を協議し、その態勢を確立し、進むべき方向性を明らかにするために、「ビハーラ問題協議会」も設置された。
さらに、各教区ビハーラの活動が広がるにつれて、設置養成が高まってきた「ビハーラ活動推進者(コーディネーター)」の養成研修も、1992(平成4)年と1995(平成7年)に行われた。有り体にいえば、これらの組織は活動の進捗状況に応じて結成され、試行的に運営されてきた感があるが、それぞれの機能を十全に発揮すれば、宗門の「ビハーラ実践活動」はより力強く前進するという手応えがある。このようにいうのには以下の理由がある。
思い返せば、我々のビハーラ活動は、様々な期待と不安と疑問と批判が交錯する中で展開してきた。この事実は見方を変えれば、とにかく動きだすことによって、あるいは思わぬ成果がもたらされ、あるいは取り組むべき重要な課題が顕在化し、あるいは大きな可能性の光が射し始めたということである。幾つかの事実を例示しよう。
まず、ビハーラ研修や実践は、僧侶・寺族・門信徒の意識変革に寄与している。日常生活の身辺において、あるいは研修や実践の現場において遭遇する老いと病と死にかかわるケア体験を通して、人間としての自らの生き方や信を問い直す傾向が生まれてきた。真宗念仏者の社会的実践としてのビハーラ活動の重要性を認識し、実践に身を投じる人が各層に広がってきている。この傾向は地味であるかもしれないが、教団の活性化に必ず一役買うであろう。また、実習施設・病院の開拓努力を通して、ビハーラ活動の前に立ちはだかる医療・福祉と仏教の間の高い障壁が具体的に見えてきた。それと同時に全国的にみればごく少数ではあろうが、ビハーラ活動に関心や理解を示し協力してくれる施設・病院や人が徐々に現れ始めた。
教区ビハーラの活動状況は、各地域の事情や条件によってまさに多様、多彩であるが、活動の新たな展開を示唆したり基礎づける動きも胎動してきた。例えばビハーラ実践を本格的に取り入れ、実習の拠点ともなるような本派系施設・病院が2、3設立されて、実動に入っている。地域の仏教婦人会が全面的にビハーラ活動に関わり始めたところもある。本派高齢者福祉施設が連絡協議会を結成して、ビハーラ活動をバックアップする態勢を固めた。僧侶・門信徒が宗派の枠を超えた協力によってビハーラの実践活動を推進している地域もある。
会員が同志仲間と協力して、電話相談やグリーフワークを継続している人やグループも見逃せない。会員自身の力量と研究・実践努力が実って、仏教チャプレン的な専門性を身につけ地域の宗教界や医療界の信頼を得て、ビハーラの今後進むべき方向に一つの有力な示唆を与えている例もある。
ところで以上のような若干の先進的開拓的事例を除いて、全般的に各「教区ビハーラ」の活動状況をみれば、会員が特定の施設や病院に入り込むと、ともすれば視野が狭くなり、活動継続の意欲や情熱が冷めがちになりかねない。そこで、全国会員が相互に交流と親睦を深め、情報を交換し実践方法を学びあい激励しあおうと、1993(平成5)年を皮切りに毎年「ビハーラ活動全国集会」を開催し、今年1998(平成10)年をもって5回を重ねた。会場は第1回本山、第2回築地別院、第3回神戸別院、第4回広島別院、第5回本山であった。とくに阪神・淡路大震災直後に開催された第2回集会において、「ビハーラ救援センター」の設置が決議され、その後の活発かつ継続的な救援活動のきっかけをつくったことや、蓮如上人500回遠忌法要期間中に特設された「ビハーラ・社会福祉の日」に集会を重ね併せて啓発したことなどは、特筆されてよかろう。
その他10余年間に、ビハーラ活動に関わって注目すべき動きを拾ってみると、まず、ビハーラ活動や福祉活動に関わる者が社会福祉推進協議会の企画した米国本土、ハワイ、欧州各国及びカナダの社会福祉施設視察研修旅行に参加した。これは宗門内各所で働く人々が共にひろく海外の医療・福祉界の現状に学ぶことによって、ビハーラ活動についての共通の問題意識と使命感を深める契機となった。また宗門内の各部局担当の各種研修において随時「ビハーラ活動」啓発のための講義が取り入れられてきた。宗門系の各大学、短大及び学院においても「ビハーラ」関連の講義や講演が広範に開講されるようになってきている。「ビハーラ」の研究や実践を志向する学生も着実に増えてきている。
このような動向は全国「教区ビハーラ」において多彩に展開されている。広報・啓発活動と相まって、「ビハーラ活動」についての関心や理解や実践意欲がかなり広まってきたように思われる。このことはこの2年間ビハーラ実践活動者養成事業の充実・継続を望む声が高くかつ根強いところにも如実に現れている。また、「ビハーラ」活動に対する多様な、そして具体的な要望や提案や批判が積極的に提示されるようになってきていることは、わが宗門が先がけた「ビハーラ活動」の意義若しくは重要性が内外における認識が深まってきた証左と評価してよかろう。
かえりみれば、この10年間の歩みは、いわば「考え抜いてから歩みだした」のではなくて、「歩きながら考える」式の歩みではあったが、この方式の歩みを続けたればこそ得られた貴重な成果が多いのではなかろうか。今後育んでいくべき萌芽も豊かなような思われる。この歩みと蓄積を大切にしていきたい。この10年間の歩みは、我々「ビハーラ実践活動」の第1ラウンドに過ぎない。宗門内においては、無関心層の方がはるかに多いし、宗門外に眼を転ずればなおさらのこと、世間一般も医療・福祉界も「ビハーラ」への関心や理解はごく一部にとどまっている。しかしながら、「いのち」の危機がいよいよ深刻化しつつ有る時代状況をみれば、そうであればこそ一層心を新たにして、前向きに取り組んでいく覚悟と姿勢が要求されるのである。