ビハーラについて、その活動を、先行的に理論を展開した田宮仁氏の影響から、仏教ホスピスと医療界や看護の方たちは受けとめている人が多い。事実、田宮氏は「日本でのターミナル・ケア」の在り方の一つとして、このビハーラやビハーラ・ケアを位置づけられるものとなるようにしたい」(「看護技術」1989年4月)と述べている。
ビハーラ実践活動研究会の会員養成に当たっても、当初の基本学習のカリキュラム「ビハーラ」では、①ホスピスの起源②末期患者のケアと施設③症状のコントロール④ホスピスにかかわる課題(安楽死、ガン告知等)と決められたことである。
会員の養成をはじめたビハーラについて、どのマスコミも「仏教ホスピス」としていた。「伝統教団も本腰を入れて“末期ケア”を考え始めたようだ」(『朝日新聞』1987年11月4日号)と報じている。
ところが受け入れ側にとって、“末期ケア”にかかわる僧侶を必要としている状況になかったのである。法衣さえも、病院内では遠慮を申し出られる有り様である。
結局、門信徒に限っても法衣姿の僧侶に枕元で立つことを望んでいるか、心の悩みを訴えるような状況にあるかどうかである。それはつまり、み教えが日常的に生き、病床にあってもみ教えを聞きたいという形を希望している患者や高齢者がいるか問われている。
国立松戸病院は緩和ケア病棟(PCU)の開設に当たり、「宗教に対する信仰の有無」を調査している。(「医療」VOl.4「終末期癌患者に対する全人的ケア」)入院患者の70%は特定の宗教信仰をもっていなかった。施設として、特定の宗教的背景をもたなくても終末期ケアは可能としている。
日本では、欧米のカソリックやプロテスタントのような仏教各宗派立の病院施設はごく少ない。ただ聖隷三方原病院・淀川キリスト教病院など、日本のキリスト教系病院では、ホスピスを開設している。
終末期をどうするかという面で、医師や看護婦は、「急性期の患者に接するのとは別で〈心の領域〉までかかわらなければなりません。しかし現実には医療スタッフは、そのような領域に関しての訓練も受けておらず、そこまで踏みこむのは、時間的にも難しい状況です。」(「難病ケアシステムに宗教ボランティア導入の試み」難病ケアシステム調査研究班総会プログラム資料)
以上を見ても、日本では宗教的背景をもったケアの無用性を主張する人は少ない。一方、患者や老人たちからは、心の悩みを訴えたいが聞いてくれる人がいない、といわれる。それを受けて、仏教ケアの有用性を主張する人たちも増えてきつつある。
米国では、300カ所に「牧師のための臨床教育」(CPE)が開設されている。神学生は3カ月の必修の基礎教育を受けて、さらに病院チャプレンは、1年間の教育訓練、チャプレン・スーパーバイザーは3年間の教育訓練が義務づけられている。(「Pasral Care Dictionary」による)
日本では、キリスト教系の病院が約40カ所あるが、専任チャプレンをおいている病院は7カ所である。岡部元英チャプレン(日本バプテスト病院・日本バプテスト専門学校)は、「なぜ自分が病気にならねばならないのか。何か因果律があるのか、家族や会社などに対して抱く、病気になったことへの罪悪感。過去に自らが犯した罪に対する悔悟、死後の世界に対する不安、そして心の深層にある神話的世界のための一層の不安を募らせている。宗教者が、布教者・儀式執行者としてでなく、医療専門機関と信頼関係を結びながら職際間協力が出来るのではないか。」と述べている。(「ターミナル・ケアと宗教」ビハーラ・コーディネーター研修レジュメ)
患者や、老人を取り巻く医療・福祉の環境は厳しい。生命倫理の見解、臨床仏教ケアの修得をして、現場にのぞまなければならない。高度な見識とスキル(熟練)が求められる現場で、対応している僧侶も生まれている。また、そうした要請を医療にかかわる各種の学会で求める発言もでてきている。
「病院から宗教者への期待は大きい。それに応じていくには、ある程度の医療や看護の知識を学んで、チームの一員として参加する気持ちが大切である。とにかく、押しつけがましい態度は患者やスタッフからは嫌われてしまう。臨床現場における継続的実習を重ねることは、是非必要だと思う。本格的チャプレン研修は、大学でできないだろうか。」という実践者N氏の意見である。
以上、先駆的チャプレンの役割を経験している立場からの発言である。チャプレン教育に関心もある人たちは、同志社大学神学部CPE教育を受ける環境にないので、数名はバプテスト病院でCPE教育を受けている。また、開教使で10名前後は米国のACPE教育を受けて、医療チャプレンとして活動している。およそ、医療チャプレン、福祉チャプレンの養成を具体化する段階にきている。